「死」(終わり)を意識すると 実は全てが尊い

はい、相変わらず一曲聞きながらブログを書きましょ





今日は久しぶりの寒行でした。


なぜか昨日の『象の背中』の音楽が頭から離れずに 

出会う人、出会う人が尊く思え

「終わり」(死) を意識するだけで 穏やかな気持ちになれることを再確認しました。



もしかすると 今日この出会いが最後かもしれない。



実はそう思わせる出会いが托鉢では待っています。


そんな時に私に出来ることといえば、結論は「南無阿弥陀仏」。

これは間違いなく、仏教である限り 真実であると確信します。



しかし現場では それだけではいかない。


そこに 笑顔だったり、相手の気持ちを掴んだ温かい言葉だったり、

そして時には 握手や 抱きしめることも 相手を安らげる当面の手助けとなる。



私の托鉢は 布施行を通して 無量の功徳を積んで頂くだけでなく


私をフィルターとして

相手に温かい明るい声をかけ、

相手を笑顔にさせ、

握手をして今を喜び、

抱きしめ合って次の出会いを楽しみにする。


そして南無阿弥陀仏で 往生極楽を決定づける。


これが私の一生の種まき☆


理想通りにはいかないけれど、

それはそれ。これはこれ。ちゃんちゃん♪

念仏:1万5000遍

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この記事へのコメント

なむこー
2009年02月02日 08:35
いい内容ですね。しっかり頑張っている。今後もよろしく

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